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すぎさん、
私は「理解」と「共感」という語を意識的に分けて使っています。
「共感」は「理解」を得るための方法の一つという位置づけです。
私はお酒が飲めないので、「お酒は美味しい」という気持ちを
共感することはできませんが、理解することならできます。
理解することができれば、お酒を勧めることもできます。
ただ、やはり共感を伴う理解に比べると浅い理解なので
嗜好の分析などの高度な応用は難しいですね。
一般に、人が共感なしに物事を理解するのはとても難しいことで、
人によってはほとんど区別がないものなんだと想像します。
実際、「共感できない」という意味で「理解できない」
という語を使っているシーンが多く見受けられます。
特に、自分が普通にできることに対して、できない状態を
イメージするのは難しいんだろうと思います。
誰でも一度は「なぜこんなことがわからないんだ!」
と怒った経験があるんじゃないでしょうか。
覚えが悪い人の方が教えるのには向いている
と言われる所以です。
たぶん「できない」のではなく、「できるのにやらない」と
疑ってしまうから腹が立つんでしょうね。
私の場合、常に「できない」んじゃないかと疑うようにしてます。
自身も含めて人は何かしら障害があると考えた方が
現実に近いと思いますし、できないことを責めても仕方がありません。
単にそういう性質として理解した上で、付き合い方を選ぶ。
それが人を尊重するということだと思います。
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