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平泉は本当に世界遺産に登録されるのか?!

 投稿者:佐藤  投稿日:2006年 9月16日(土)09時16分12秒
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  平泉の世界遺産登録に向けて、日本政府が推薦をすることが正式に決まったようだ。岩手日報は、15日朝刊で以下のように伝えている。

「政府は14日、世界遺産条約関係省庁連絡会議を外務省で開き、平泉の文化遺産を「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産(文化遺産)に推薦することを正式に決めた。2008年の登録に向けた手続きは大きく進み、「平泉」の評価の場は国内から世界に移る。」


これまで日本政府の推薦候補地が落選した試しはないということで、平泉の世界遺産入りは、いよいよ秒読みに入ったという見方が強くなった。

しかし落選への不安は、私の中で大きくなるばかりだ。今年の6月平泉の世界遺産入りに向けて国際専門家会議が現地で開催された。各国のイコモス(国際記念物遺跡会議)委員がやってきて、コアゾーンの中の限られた地域を駆け足で巡った。その時、たまたまオランダのロバート・デ・ヨング委員が、無量光院の借景となっている金鶏山に鉄塔が立っているのを目の当たりにして、強い違和感を覚えたという旨の発言をした。それから鉄塔問題が持ち上がり、これを何とかしようとの声が各方面から上がり始めた。

ただ平泉の世界遺産登録に向けての差し迫った問題は、実は鉄塔問題などではない。最大のネックは、「平泉バイパス」と「衣川堤防工事」による眺望の変化である。あの俳聖松尾芭蕉が「夏草や・・・」と詠じた平泉第一の歴史的景観は、この公共工事によってズタズタになってしまっている。来年の6月までに、この問題が解決されるはずもなく、これが障害となって、登録猶予などという処置が取られないという保証はどこにもないのだ。

要は自分たちの目ではなく、来訪者の目、外国人の目に、平泉の現在がどのように映るかということが問題なのだ。今年の6月の各巡視はコアゾーン中心で、しかも地元が選んだポイントであった。来年の6月は、こんな訳には行かないのである。

私は、6年ほど前から、平泉という場所が本来の美しい町になるようにバイパス問題をどのように解決できるかと思案している過程で「平泉を世界遺産する会」というものを立ち上げて、ささやかな運動を展開してきた。私たちの最終目標は、平泉を美しい姿のまま未来の人々に託すことであって、平泉を世界遺産にすることではない。あえて言えば、「世界遺産」は、ひとつの「方便」に過ぎないのだ。誤解されるといけないので方便について記して置きたい。

むかしブッダが、ある弟子にこう説いた。
「私が説いた教えは、彼岸(対岸)に渡るための筏に過ぎない。ひとたび川を渡って対岸に着いたならば、筏はいらないであろう。そうだ。教えとは方便に過ぎないのだ。」

つまり私たちにとって、世界遺産は、平泉が平泉で在り続けるための「方便」に過ぎないのである。しかし今平泉に限らず世界遺産は、地域起しの活性剤と考えられるようになり、いつの間にかブランド化してしまった。百名山の登山ブームも同じだが、世界遺産は観光資源のためのブランドなどでは断じてない。この辺り日本中で大いなる誤解が生まれている。 「世界遺産になれば、なにか御利益がある」というのは幻想に過ぎない。言葉は悪いが猫も杓子もと言った具合に「世界遺産誘致運動」が全国各地で巻き起こっている。私からすればネコやシャクシが踊っているような実に滑稽で情けない姿に見えてしまう。それが最後には涙が出るほど悲しくなってくる。地方が疲弊してしまっていることはよく分かっている。それで余計に悲しいのだ。

「世界遺産登録」は、登録地にバラ色の未来を約束するような甘いものではない。一足先に世界遺産登録された高野山では、登録されたにも関わらず、町の財政が本当に厳しいものになっていると聞く。具体的に言えば人口が激減しているのだ。明治以降女人禁制が解かれて、一時は1万人以上にまだ増加した町民が、今4千人まで減少しているのです。財政も厳しく、身動きが取れない大変厳しい町政が続けられている。しかし観光で訪れる人にとっては、「何て空海は凄い宗教都市をこんな高いところに造ったのだろう。」と感動するばかりなはずだ。この例ひとつをとっても、世界遺産登録は、町の再生には、何も役だたないということのひとつの証左だ。

平泉も同じことになると予想される。平泉の人口も減少の一途を辿り続けている。登録後、観光バスでやってきた観光客は、中尊寺、毛越寺や無量光院、衣川の長者が原廃寺跡を廻った後、北に行けば花巻温泉、南に行けば松島に宿を取ってしまう可能性が高い。そうなると平泉は単なる通過点でしかなくなってしまう。

さて日本中ほとんどの地方の地域経済がそうであるように、公共事業で頼りの状況である。色々タテマエとホンネが入り交じっているが、平泉バイパスが建設されたのも、このような状況の中で、立案されたものだ。しかしながらこのバイパス計画によって、芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」と詠った景観は、見事なまでに台無しになってしまったのである。

今回政府の推薦が決定し、来年(2007年)2月には、世界遺産委員会への推薦書の提出。6月にはイコモス委員会の現地調査。そして2年後の2008年7月には、世界遺産委員会の会議で、登録されるかどうかの決定が下るというシナリオになる。これまで日本政府の推薦した候補地が落選したことはないので、平泉が世界遺産になる可能性は高まったことは確かだ。

しかし私たちは、「景観の修復なくしては、世界遺産の価値は平泉にはない」と強く言わざるを得ない。もちろん景観だけではなく、精神性の部分も大事だ。周知のように平泉は、戦争によって亡くなったあらゆる命を極楽浄土へ送ろう。二度と戦争の惨禍によって、命がなくならないようにしよう。そんな恒久平和の理念に基づいて、初代藤原清衡が建都した平和の都市である。今日、無差別テロが横行し戦争の火種が世界各地でくすぶっている時、平泉の平和都市の理念はこれからますます光を放っていくだろう。これこそが、平泉が世界遺産に登録されるべき本領だと私は信じる。

もう一度、平泉を世界遺産にしようと思うすべての人々は、安易な楽観論を排し、平泉の歴史的文化的価値に込められた根本問題を、その原点に立ち返って整理検討し、腹を据えて行動に移さなければならないのである。((2006.9.15 佐藤弘弥記)
 
 
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