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  1. 世界遺産について語る掲示板(1)
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(無題)

 投稿者:むっくん  投稿日:2007年 8月 3日(金)20時13分42秒
返信・引用
  いや、違う。住民の総意こそが、平泉の精神そのものだと思う。
何より、その土地の人の生活や命が、大切であるとイコモスにつたえたい。
本当に。
 
 

平泉にイコモスややってくる!!

 投稿者:佐藤メール  投稿日:2007年 8月 1日(水)20時36分13秒
返信・引用
  イコモスが平泉にやってくる

もうすぐ、平泉に、平泉が世界遺産に相応しいところかどうかの判断をしに、ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関「イコモス」(国際記念物・遺産会議)の調査員が事前調査にやってくる。昨年暮れにユネスコ本部に提出した推薦書の内容と実際の平泉の相違や、今後の遺産の保全計画(アクションプラン)なども厳しくチェックされる。


平泉にやってくるのは、河北新報(7月11日)の伝えるところによれば、スリランカの専門家だということだ。スリランカは国民の70%が仏教徒というお国柄で、推薦書にある平泉文化の中核思想である「浄土思想」についての理解も比較的容易ではないかとする見方もある。

ただ、地元関係者は、今年の石見銀山の世界遺産登録がイコモスの判断で、登録に待ったが掛けられ、一時は「登録延期」もやむなしの状況だったこともあって、ピリピリしているようである。しかも、この調査が当初、秋と思われていたのが、急遽2ヶ月も早まったこともあり、さまざまな憶測を呼んでいる。

平泉の世界遺産入りについては、先の「浄土思想」についての真正性の証明や平泉のコア・ゾーン周辺の景観破壊や人工的造作物(特に鉄塔)の移転問題が、先に進まず、イコモスの調査委員からは、コア・ゾーン特に柳の御所一帯から衣川周辺が、バイパス工事や堤防のかさ上げ工事による景観の修復について、厳しい指摘がなされる可能性が高いと予想されている。

また日本の歴史上屈指のヒーローである源義経の居城とされる高館からの景観は、かつて松尾芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」と詠嘆した地であり、これまで平泉第一の景勝地と言われてきた聖地である。しかし現在、その直下を、平泉バイパスが掠めるようにして敷設され、かつての景観は見るも無惨に損なわれてしまっている。

また高館の南に拡がる広大な柳の御所や無量光院跡は、発掘調査の進行中であるとは言え、見事な田園風景は、無惨に消え失せて、単なる土塊(つちくれ)の拡がる大地となってしまっている。かつて、この柳の御所は、奥州藤原氏四代の政庁の跡があったとされ、ここから東に目を転じ大河北上川越しに見る桜の名所束稲山の景色は絶景であったとされる。

しかし今、土塊の問題の柳の御所の発掘現場の片隅で、その頃の豊かな潤いを伝える桜がたった一本残っている。数年前に、この発掘調査と平泉バイパス工事による環境の激変から、枯死が心配されてきたが、地元住民と盛岡の有志たちが、EM(有用微生物群)溶液を献身的に継続して撒くなどの必死のボランティアが功を奏して、一時は若葉も出なかった桜に、一昨年、僅かに葉が付き、今年は更に葉だけではなく、新芽なども発芽しているのが見られるようになった。


甦りつつある柳の御所跡の一本桜こそ平泉の誇り

去る7月22日(日)には、ボランティアの有志たちは、今が大事と、更にEMの活性液1トンをトラックで運び桜の根元にしっかりと散布した。

その際、盛岡からわざわざ来てくれたEM研究機構の石川研究員の観察記録によれば、ふたつの喜ぶべきことが起こっているということだ。

第一は、太い幹の根元から3メートルと5メートルのあたりに、新芽が散見される。これは、確実に木がよみがえってきている証拠であり、新芽が出てきている高さと同じ距離だけ地下にも根が張ってきていると考えられる。

第二には、大量の活性液を散布している最中、幹の周囲1メートル四方に驚くほどの数のミミズが大量発生していた。しかもそのミミズは太くて長く驚くほどりっぱで元気なこと。これは、活性液を散布によって、土壌改善が進み、一本桜の土壌環境が大幅に改善してきていると推測される。

この平泉の一部の人は、この柳の御所の少しだけ甦りつつある桜を、イコモスの調査委員に見せるのは、マイナスではないか、と見る向きがあるそうだ。しかし、ユネスコ世界遺産の精神とは、単なる遺跡を保存するということではなく、文明化の開発に晒され、その存在がこの地上から消えてしまうようなものを、保護保全していこうとの条約なのである。

と考えれば、むしろ、平泉の人々と世界遺産推進の関係者は、間もなくやってくるイコモス調査員にこのように説明し胸を張るべきだ。

「私たち平泉の住民は、この一本の桜の生命を守り抜く覚悟です。やがてこの柳の御所跡も緑が甦ってきます。そしてこのしだれ桜には、見事な花が結ぶことでしょう。この世に浄土を造るとして平泉は建設された都なのです。この一本の桜を守ることが、平泉の精神だと信じています。」と。
 

石見銀山は世界遺産の価値がある?それともなし!

 投稿者:佐藤  投稿日:2007年 7月 3日(火)19時47分34秒
返信・引用
  岩手のSさんよりメールをいただきました。

内容は、ひとつ目に、石見銀山の世界遺産登録に懐疑をもっていること。ふたつ目に「祈りとは何か?」とは何でしょうか?という質問でした。

私の思っていることを以下正直にお話します。、


私は個人的に、石見銀山については、この遺跡自体の世界遺産的価値に疑問符もっています。

世界遺産の価値にというものは、人類の歴史の中でも特筆されるべき何かが、そこに確かに存在し、象徴的な景色がなければなりません。しかし残念ながら、これだという景色が石見銀山にはありません。

あるのは、分厚い推薦文です。現在の世界遺産登録は、この推薦文の書き方が大きく作用します。残念なことです。しかしこの推薦文が正しいかどうかを、審査する機関があります。イコモス(国際記念物遺跡会議)というところです。石見銀山の場合、このイコモスが、登録に待ったを掛けました。「価値の証明」が不十分として、「登録延期」を勧告したのです。

日本側は、このイコモスの「登録延期」の勧告に100ページに及ぶ反論を上げ、世界史に通じる遺跡である、ということを強調しました。また各国の委員に「石見銀山」の登録に賛成してくれる外交的アタックを猛烈にしました。この結果、イコモスの勧告を覆す形で、今回「石見銀山」の登録がなされることになったのです。ある意味では日本の政治力によって、イコモスのメンツは丸つぶれとなったのです。

このことが、平泉の登録においては、悪い影響が出るのではないかと懸念します。


本来、私は島根であれば、石見銀山ではなく、まず出雲大社が、世界遺産にもっとも相応しいものであると思います。出雲には、国譲りの神話があり、スサノオとヤマタノオロチの伝説があります。鉄器の鋳造にまつわる歴史の研究も進んでいます。

ところが、どうしても出雲大社や伊勢神宮などの大きな神社というものは、明治以降の「国家神道」と結びつけて考えられるために、アジア諸国、特に中国や韓国への配慮から、これを候補としてあげる動きはありません。

伊勢神宮でも出雲大社も、中国や韓国からすれば、靖国問題化されてしまうのです。これは日本のユネスコ関係者の言葉足らずの問題であると私は思っています。出雲大社の場合、伊勢神宮と同じく、日本古来の精神文化を脈々と受け継ぎ、世界の建築史の中でも特筆されるべき「式年遷宮」と言って、一定の期間で、社を新しく建て直し御神霊を遷す儀式があります。これなど、西洋の石の文明ではありえないことで、世界遺産の価値は、十分過ぎるほど満たしていると思います。

これは、仏教が日本に入ってくる以前の「古神道」と明治以降鎖国で立ち後れた日本を天皇を中心とした富国強兵策で強力に近代化を計ろうとした「国家神道」との説明を、日本の文化庁が積極的に行うべきであると思います。そしてアジア諸国、特に中国や韓国へ働きかけを行うことによって、第二次大戦後曲解されたままの「神道」文化への誤解を解くことが可能になると思います。

「古神道」の精神は、八百万の神がそこかしこにいるという多神教の考え方です。第二次大戦時の日本のアジア進出は、この「国家神道」のイデオロギーによって、今もアジア諸国に曲解されたままになっています。この違いを説明することによって、本来ある日本人の、違った世界観を持つ人々に対する寛容の精神や多神教的な世界観も分かって貰えるのではないでしょうか。

ところで、Sさんは、「祈りとは何か?」ということを言われました。
祈りとは無念で祈ることです。それ以外の意味はありません。
祈りは邪悪さを否定します。邪悪な祈りは、祈りではなく呪詛です。
呪詛は自分に必ず跳ね返ってきます。それは正しい祈りではなく、邪悪な悪意に
満ちた祈りだからです。

養和二年(1182)4月鎌倉の頼朝が、奥州の藤原秀衡を呪詛しようと、江ノ島に
弁財天を勧請しました。それを行ったのは真言宗の怪僧文覚でした。文覚は周知
のように、伊豆に幽閉され、絶頂の平家に反旗を翻すのをためらっていた時に、
頼朝の父義朝のドクロを懐から出して、源氏再興のために「立ちなされ」とけし
かけた人物です。この人物は、元々は遠藤某という侍の出で、若い自分人を殺め
て、仏門に入った妙な人物です。

それから五年後の文治二年(1187)10月、66歳の秀衡は、持病の脊髄カリエスが
悪化して、あっさり亡くなってしまいました。頼朝と文覚の呪詛が効いたのかど
うは定かではありません。その二年後、大政治家を亡くした奥州は、天才義経の
軍略を使うことなく、頼朝の政略に屈し、滅ぼされ、黄金文化は根こそぎ奪われ
たかに思われました。

しかし悪い祈りは、必ず自分に厄として返ってきます。盤石に見えた頼朝は、相
模川での新橋の落成の帰り路、義経の亡霊が突如として現れ、馬が川に飛び込ん
で、生死の域を彷徨い、一ヶ月後、亡くなりました。また頼朝の子供たちも不運
と陰謀によって、遂に源家の血は途絶えてしまったのです。

つまり祈りにも二通りあるということになります。正しい祈りと邪悪な祈り、正
しい祈りしか天に通じないものと思います。だから、正しい祈りを、無念の思い
を込めて祈ることが、すべて何よりも優先されなければならないと思うのです。

長くなりましたが、これが私の本音です。
 

緊急発言 大逆転「石見銀山世界遺産入り」で平泉はどうなるか?!

 投稿者:佐藤メール  投稿日:2007年 6月28日(木)17時51分41秒
返信・引用 編集済
  07年6月28日、ニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた第三十一回ユネスコ世界遺産委員会において、島根県太田市の「石見銀山」が世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」として登録されることが決定した。これで日本の世界遺産は、05年の「知床」(自然遺産として登録)に次いで14件目で、文化遺産としては11件目となった。

同「石見銀山」遺跡は、一ヶ月前の5月、ユネスコの諮問機関である「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が、世界遺産としての普遍的価値の証明が不十分であるとして、「登録延期」を勧告し、登録はほぼ絶望視されていた。

これに文化庁や日本政府が、猛烈に反論。各国の委員に多数派工作を展開し、今回の大逆転劇に繋がった模様だ。

イコモスの「勧告」は、四段階あり、「登録」、「情報照会」(再審議)、「登録延期」、「不登録」となっている。言わば、今回の石見銀山は、「登録不可」に近い3段階目の評価からの世界遺産入りで、今回、イコモスのメンツは、丸つぶれの格好だ。

石見銀山の世界遺産入りについては、専門家や研究者から、遺産に相当する象徴的な景観が見あたらない点や、当初の計画よりもコア・ゾーンを拡大した点などをめぐって、世界遺産としての真正性の証明が不十分ではとの声が、上がっていたことは事実だ。

今回この大逆転での世界遺産入りで、一方ではこれで弾みがついて、来年度の平泉をはじめとする日本の世界遺産候補が比較的容易に世界遺産に登録されるのではないかとする楽天的な見方があるようだ。

しかしその考え方は安直過ぎる。現在、世界遺産が年々増加の一途を辿り、管理上の観点からも抑制の動きが世界遺産委員会内部から出はじめている。昨今、世界遺産委員会は「世界遺産が増え過ぎて管理が困難として登録を抑制しているといい、登録の採択率は04年の82%から06年は64%まで落ち込んでいる(2007年6月28日13時45分 読売新聞)」とのことだ。これは各国の世界遺産候補地が厳しく審査検討されるようになったことの何よりも証明である。

したがって、私は来年度に予定されている平泉の世界遺産登録について、遺産のコア・ゾーンである柳の御所跡に平行するように建設されている平泉パイパスという動かし難い人工構築物が、世界遺産としての「平泉」の価値を著しく損なっていることが明確である現実を鑑み、今秋に予定されている「イコモス調査委員」が、これを容易に見過ごしてくれて、「登録」という甘い「勧告」を発してくれるとは、どうしても思えない。

むしろ、今回大逆転で「石見銀山」が登録されるというめでたいニュースの裏でイコモスのメンツが丸つぶれとなった現実を忘れるべきではない。そのことが平泉の登録にとって思わぬ障害とならないとも限らない。いずれにしても、関係者(官も民も含め)は、登録まで気を抜くことなく、平泉周辺の景観を厳しい眼で再検討し、真にユネスコ世界遺産に相応しい景観の整備と創出に務めていかなければならない。
 

「ある一般の意見人さん」へ 1

 投稿者:佐藤  投稿日:2007年 6月14日(木)11時08分8秒
返信・引用
  「ある一般の意見人」さんより、意見がありました。

この意見について、当サイトを少し誤解されていると思う箇所があるので、説明させていただきます。

管理人ではなく佐藤個人として、ご説明申し上げます。

まず第一のセンテンス。

「この景観問題のホームページは発足当時から、平泉の世界遺産化に批判的なあるいは反対 的な趣旨を土台としてきたと承知していたのであるが、それが途中から世界遺産には賛同 的な意見がこのページの主宰者自身から多く見られるようになってきた気がする。高館付 近の工事がどんどん進むにつれ途中から開発は仕方がないという諦めから本来あるべき姿 をどれほど説明しても無意味なのでそれでは世界遺産は賛成で、それに相応しい姿とは? と、趣旨が変化してしまったと感じて仕方がない。」


これは、誤解です。そもそも、このサイトの立ち上げのきっかけは、平泉一帯の景観を何とかしようという大きなものではなく、この掲示板に、その痕跡が明確に残っていますが、「平泉バイパス」ができるということで、「平泉第一の景勝地である高館からの景観を、台無しにしていいのか、ということで、この2000年10月にサイトを立ち上げたのですが、皆さんとの話し合いの中で、サイトの主体として名称を「平泉を世界遺産にする会」としたものです。実はこの時には、平泉は世界遺産にもノミネートされていない時期で、ほんの数ヶ月後、「平泉の世界遺産候補」と正式に発表された時はびっくりしたものでした。

私たちの当初の考え方は、ユネスコ世界遺産条約の精神で、台無しになる「高館の景観」を救おうと考えたのです。ですから、ここに記されている「発足当時から、平泉の世界遺産化に批判的なあるいは反対的な趣旨を土台としてきたと承知していた」という認識は、明確に誤認です。そのことは、「過去のログ」として、掲示板の記載がありますので、サイトの方向性が分かっていただけるものと思います、

最初の頃、高館に近い柳の御所は、バッファゾーンでした。これは私たちにとっては、残念なことでした。しかし私たちは、たとえコアゾーンでなくて、バッファゾーンでも、良好な景観を保全しなければならないというように思い、芭蕉の奥の細道の旅において、高館に真っ先に上った事実を手がかりに、高館からの文化景観を失ってはならない、という論理をもって、論理を展開しました。また同時に、もっとも平泉にとって重要な文書とも言うべき、「中尊寺落慶供養願文」の現代訳を試み、平泉の建都精神にある徹底した平和主義思想に触れ、ここにユネスコ世界遺産条約の精神を初代藤原清衡公が、先取りをしているということを知りました。

これは素晴らしい発見でした。法政大学の五十嵐敬喜教授も、この供養願文の精神に感動され、五十嵐先生と一緒に「平泉に平和の思想を視る」(初出 環境雑誌「ビオ・シティ 2003年8月発売NO26号)という論文を執筆させていただきました。これはこのホームページからも閲覧できますし、昨年五十嵐先生の「美しい都市と祈り」(学芸出版社2006年4月刊)に収載されています。

そのようなことがあっても、どんどん「平泉バイパス」工事は進行しました。また2002年、台風六号により衣川橋周辺が洪水被害にあり、俄に衣川の堤防工事が提起されて、平泉は、北上川だけではなく、衣川の堤防工事が加わって、現在のような工事現場の様相を呈してきたのです。

この台風6号による洪水は、平泉バイパス工事を推進する人たちにとっては、不幸中の幸いとなりました。平泉バイパスは、堤防を兼ねるもので、遺跡を守るという立場からも、これは是非とも必要であるということで、心情的にバイパスに反対していた人たちも、発する声が弱くなってしまいました。

景観は大事でも、住民の命とは比べられませんので、工事はどんどんと進み、安易なバイパス工事とユネスコ世界遺産は両立できるような、手前勝手な世界遺産登録推進運動が展開しました。これについて私たちは一貫して反対してきました。

2004年夏、工事現場で異変が起きました。それは柳の御所にただ一本残っていた「しだれ桜」が、原因不明で枯死しかけたのです。私たちは、この姿を発見して直ちに行動を起こしました。知事にも要望書を有志で書き、お渡ししました。「桜一本」の命を守れずに、ユネスコ世界遺産はない、という強い信念での行動でした。これはマスコミにも大きく取り上げられ、地元の多くの有志たちが、心を傷め、心をひとつにして、定期的にEMを撒くなど、善意の行動を続けました。冬には、コモをかけたりもしました。

すると、昨年わずかに若葉が散見し、奇跡が起きたと、周囲を驚かせました。今年はさらに多くの若葉が見られて、蘇生の流れにあることが確認され、昨日、その努力が、去る6月9日、岩手日報にも写真付きで「枯死の危機から回復」、「住民の蘇生活動が実る奇跡」と報道されたのは記憶に新しいところです。

<つづきます>
 

無題

 投稿者:町内の当事者  投稿日:2007年 6月13日(水)18時33分26秒
返信・引用
  メディアは、賛成意見しか取り上げてませんでした。
特に、「平泉の文化を世界遺産に」というキャッチコピーを前面に出している
めんこいテレビは女子アナウンサーがアレなため特にその傾向が強かった。
 「平泉の文化を世界遺産に」はなぜか町外の企業が商用車にペイントしていたりもする。
しかし、町内では役場の車にしかそのようなペイントはされていない。
結局、思想よりもその他のなんかに利用されてるだけだと思います。
 

意見を述べさせてもらいます。

 投稿者:ある一般の意見人。  投稿日:2007年 6月13日(水)00時17分10秒
返信・引用
   この景観問題のホームページは発足当時から、平泉の世界遺産化に批判的なあるいは反対的な趣旨を土台としてきたと承知していたのであるが、それが途中から世界遺産には賛同的な意見がこのページの主宰者自身から多く見られるようになってきた気がする。高館付近の工事がどんどん進むにつれ途中から開発は仕方がないという諦めから本来あるべき姿をどれほど説明しても無意味なのでそれでは世界遺産は賛成で、それに相応しい姿とは?と、趣旨が変化してしまったと感じて仕方がない。

平泉建都当時の浄土思想を守り広く世に伝えて行こうとの動機よりも
遺産登録の運動を契機に、疲弊する地方経済の起爆剤としてそれを利用して観光資源の価値をもっと高めていこうという方向に運動が進行しているのが事実であり事実そのようになっている。

 実際多数の住民はこの運動に無関心であり何故故に世界遺産にならなければならないのかも理解していない筈である。この運動を主導しているのは行政と一部の学者達でると認識している。


 世界遺産に相応しい思想とそれに相応する環境の保全並びに行政と住民の努力を訴えては来たが、現実はどんどん開発の方向に向かっており観光開発が最優先なのは一目瞭然です。

 その一方平泉を訪れてみればその歴史と自然環境を維持しようとする努力が地元住民により払われてきた事に対しては尊敬の念を持たざるを得ません。

 世界遺産化と一方的に駒を進めている行政とは裏腹に既に立派な景観を現代にまで保存してこられた住民関係者が全く無視されているようです。彼らは既に多くの犠牲を払っていると思います。

 したがって世界遺産になるのならなればいい。そうでなければそれでもいいのです。結局は一般の住民にはどうでもいい運動ではないでしょうか。
 

ユネスコの思想について(追記あり)

 投稿者:横田メール  投稿日:2007年 6月12日(火)01時33分31秒
返信・引用 編集済
  登録を取り下げてもらう方法を書いたのは少々配慮不足だったかもしれません。
しかしながら、実際に登録を取り下げてもらうにも、関係者と交渉しなければならない事を記している点に注目してください。
これはユネスコのボッカルディ氏が指摘している点にも通じていると思います。

どちらにしても日本の民衆は行政任せにしてしまってるきらいが大きいのが、一番の問題なのでしょうね。

「お化粧開発」されまくってしまった平泉が、もし登録されたら、今度は「素肌復元開発」しなさい、ってこともあるのかな・・・。

6/13 追記
一般の住民にはどうでもいい話でもなく、その事業のためのお金を誰が負担してるかを考えると、まるっきり無関係とは言えないのでは?
波及効果の良い面、悪い面も出てくるでしょうね。
 

少しお待ち下さい!!平泉はまだ世界遺産に登録されている訳ではありません

 投稿者:管理人メール  投稿日:2007年 6月11日(月)19時13分10秒
返信・引用 編集済
  「町内の当事者」様の登録解除の話しより、登録解除の仕方が、奈良の横田さんより説明されていますが、少しお待ちください。

まだ、平泉は世界遺産になったわけではなく、昨年(06年12月)の暮れに、ユネスコに日本政府よりの推薦書が受理されたに過ぎません。

まだ世界遺産登録される前から、解除の話しをするのは、いかがなものでしょうか。

本サイトは、平泉を世界遺産にするという目的で、開設されたものであり、「平泉」が真に世界遺産に相応しい形で、登録されることを願って活動しているものです。

奈良の場合も、遺跡の下をトンネルが通るということで、このやり方に対して、地元の人々が、この開発は世界遺産条約の趣旨に添っていないのではと考えられて、反対の意思を表明され、活動していることと、常日頃みなさまの運動に心からの敬意を払って来た次第です。

ユネスコ世界遺産条約は、過度な開発に待ったをかけるもので、すべての開発をノーとしている条約ではありません。和歌山の間伐の問題についても、ユネスコは、間伐をノーと言っているわけではなく、地権者たちの利害と遺産のゾーンどのように管理していくかという問題が、登録後にはじめて露見してきたということで、今後はこのことについても、世界遺産条約の思想というものに沿って、調整されるべき問題であると思います。その意味で、世界遺産そのものの登録がイヤであるという声があるのは、分かりますが、ユネスコ世界遺産に登録されると、地権者の権利が、まったく無視されてしまうというようなものではないことは認識して置くべき点かと思います。

平泉の場合には、登録される前に、世界遺産条約の思想と矛盾するような形の過度な開発がコア・ゾーンの中で行われていることが問題なのであって、当サイトは、むしろ世界遺産条約の思想を受け入れることこそが、平泉の本来の景観を守り、維持していく上で、有効であると思っています。

平泉を美しいままに未来の世代に伝えることが、今生きている私たちにとっては大事な責任であると思います。

確か、鎌倉でも、世界遺産に登録されると、観光客がさらに来て、静かに暮らせない。だから、鎌倉の世界遺産登録には反対だ、という声があるようです。

気持は分かります。しかし世界遺産という思想をうまく活用することによって、私は鎌倉の町は、もっと美しい景観を持つ、都市になると思います。鎌倉の浜から一の鳥居、段葛、八幡宮の通りをよくよく見ると、鎌倉という古都には相応しくない建物が結構見受けられます。やはり世界遺産の思想を上図に活用することで、鎌倉の町はもっともっと魅力的な町に生まれ変わるのではないでしょうか。

世界遺産を使った町造りということを考えれば、自ずと過度な開発にはストップが掛かり、調和の取れたものになっていくと思います。

今世界遺産をわが町にもという機運が高まっていますが、これは悪いことではないと考えます。
 

登録の拒否について

 投稿者:横田メール  投稿日:2007年 6月 5日(火)18時56分41秒
返信・引用 編集済
  世界遺産への登録手続きは政府・行政が主となるようですが、
お化粧土木事業という指摘もあるように、土木利権のほかに、
観光関連の利権の動きもあると思われます。
政府・行政と、自治会がきちんと話し合っていない状態であることを、
何らかの方法でPRし、必要ならユネスコ関係組織に伝達する、
でしょうか。
もちろん英語で伝達しますが、国内向けにも日本語で説明しておきましょう。

その前に、登録する事じたいが、実際は地域の各利権団体には
全くメリットがない(開発が大きく抑制されることになる)
ことを理解してもらい、引き下げてもらう機運を作るのも手かもしれません。

もし、登録した後で、勝手に開発して、ユネスコに連絡が行って、
「危機リスト登録」とか「登録抹消」ともなれば、政府だけでなく、
地域にとっても笑いものになるという事も説明しても良いでしょう。

和歌山の熊野では、登録されたせいで、勝手に伐採することが
難しくなったそうです。これは登録時に「維持のため定期的な伐採
が行われる」という要件を入れなかったせいかもとは思いますが。
ちなみに伐採の理由は、「林の中が暗くなり、結果として杉が育ち
にくくなり、山が荒れる」のを防ぐための定期的な間伐とのこと。

ユネスコの関係者は昨年11月4日に、奈良に見えて講演なさった
そうですが、その内容が日経新聞12月2日の30~31面に載って
いることが判りました。
近くの図書館で参照してみてください。
「・・・利害が対立する人々とも交渉し、意志決定をする必要がある」
つまり、都合の良い人たちだけで出来レースのように話を進めるな、
ということなのでしょう。

詳しくは下記のURL ならびに、紹介されてる京都の東山の半鐘山開発
に関するユネスコとのやり取りの記録を見てください。英文も掲載
されています。

http://1300.blog51.fc2.com/blog-entry-2.html

 

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