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  1. 世界遺産について語る掲示板(1)
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すいません…訂正

 投稿者:Sasahara  投稿日:2005年 4月 2日(土)21時12分22秒
返信・引用
  町に芸術家を受け入れない「感性」があるのではないかとも
⇒町に芸術家を受け入れない「感性」は【無い】とも

だってね、
本来の郷土史をやっている人たちに対する町の扱いはひどいものらしいですよ。
なんかあれば、連れてくる文化人は、外の「偉い人たち」だし…。
 
 

久々に・・・

 投稿者:Sasahara  投稿日:2005年 4月 2日(土)21時07分9秒
返信・引用
  久しぶりに投稿させていただきます。
堤防工事も容赦なく進められ、合併問題もなんだかなーの結末に、いささか呆れて故郷のうわさを聞いていましたが、相変わらず、ここの皆さんのお話は「熱い」ですね。
頭が下がります。

平泉を芸術家の町にというご提案、もっともだと思いますし、芸術家が町に魅かれるという事も納得できます。
平泉は、いまだ素晴らしい景観を持つ場所が無数にあるだけでなく、感性を揺さぶる「気」が何気ない土地の至る所から立ち昇っているような気がします。(それはけっして「寺院」地区だけでなくね。)
しかし、
私には、町に芸術家を受け入れない「感性」があるのではないかとも、同時に感じます。
「目に見えないもの」は「権威」に頼らねば、理解できないですからね。
もっとも、そういう人ばかりでない事も、知ってはおりますが…。

昨夏、北上川を水沢から高舘まで、カヌーで下って見ました。
色んなことが判ったような気がします。
世界遺産でゆれる「寺院地区」だけでなく、対岸からも平泉を感じ、川の流れも感じると、平泉を取り巻く様々な問題も、新たな解決策があるのかも知れませんね。
 

残すということ

 投稿者:つぶや  投稿日:2005年 3月27日(日)20時25分37秒
返信・引用
  現在平泉町では、堤防以外でも、観光客のほとんどいない国道の歩道整備や町内の道路整備など、たくさん税金使ってます。国の借金が700兆円超えたというのにいいんでしょうか。
 世界遺産登録はお金で買えるものなのでしょうか。平泉町のCMでは「変化の時代に変わる事の許されない場所がある」とのことですが、それはどういう定義なのでしょう。道路は変わりまくっているのに。
 また、家の建て替えをするのに、和風建築以外を認めないというのも地元住民にはめいわくです。こんなことなら、住民をよその土地に移住させて、白神山地みたいにしてください。移転の補助金は出してください・・・とぼやいてみる
 

意見したい

 投稿者:つぶや  投稿日:2005年 3月21日(月)21時36分30秒
返信・引用
   世界遺産登録推進運動発足当初、我々町民の意見は無視して勝手にはじめたんですけど。
町民の中でも観光利益収入ある人と、役場のかかわる人以外はほとんど世界遺産賛成してないとおもわれます。
バイパス兼堤防については、バイパスの面ではあの中尊寺入り口交差点が渋滞の大原因なので、道路拡張すればいいのでは、盛岡以南の国道4号で4車線ないのは平泉だけなので。もしくは衣川橋の付け根のあの道路を充実させればよいかとおもわれます。
堤防はわかりません。洪水の時の海のようになった道路で自転車で遊んだガキの頃がなつかしや。
とにかく、地元マスコミも役場もあっちがわの町民ばかり反映させて、本音を言った町民は無視なのでたまりません。
恥ずかしいことだが、本音を言えて心が洗われたようです。
ありがとう。こんなHPとめぐりあえてよかった。
ちなみに写真に写っているのは、テトラポットではなく馬鹿でかい「土のう」です。
 

「芸術家の町・平泉構想」のご提案

 投稿者:佐藤メール  投稿日:2005年 3月18日(金)13時50分47秒
返信・引用 編集済
  阿武隈川 さん

「1万人の町民が必要」
「足りない分を町外から募集するよう・・・」
「平泉の住人になってはいかがでしょうか」

というご提案、大変重く受け止めます。どのようなお立場でこの提案をなさっているのかは別として、「平泉が町として単独で存続のために、一万人というハードルを乗り越えなければいけないので平泉を愛する人は移住してください」という消極的なレベルでは、おそらく移住者千人の確保は、極めて難しい数字だと思います。

そこで逆に提案なのですが、平泉にかつて存在していた僧坊を建設し、芸術家に住んでいただいて芸術活動をするような芸術家村構想を考えてはいかがでしょうか。吾妻鏡の記載によれば、往時平泉は、数百を越えるような僧坊が建っていたと思われます。おそらくその坊は、当時の10数万を越える都市平泉の中心地に花のように点在していたと想像されます。

それを復活するのです。この「僧坊」の復活は、大きなプロジェクトとなります。今毛越寺の後ろで、まったく景観を無視した温泉付住宅が売り出されていますが、そう言うものとは根本的に違うものです。この僧坊の所有は、寺や町が中心となって、共同所有の形を取ります。あるいはナショナルトラストのような財団を作り、未来永劫に向け初代清衡公の理念を高らかに謳い共同所有ということでもよいかもしれません。現段階では方法をひとつに絞らず、コンペのようなものを開催し全国に公募してもよろしいいかもしれません。そして僧坊のデザインから運用までは、民間活力をもって、建築管理し、一定期間、芸術家に貸与します。このプロジェクトは、金儲けや開発主義とは無縁です。これはかつて平泉の往時に存在した景観をベースにした新しい黄金都市の復活の構想でもあります。芸術家村の構想は、かつて故武者小路実篤翁が提唱実践されたことがあります。

平泉は、今後どのようにして生きるのか。その答えは、日本の至る所の町で行われた近代都市化によって失われたアンチテーゼとしての、美をコンセプトとすることから始まるものと思います。

さて、去る3月16日に、世界的なジャズピアニストの秋吉敏子さんが、平泉郷土館で、ソロコンサートを開催し、立ち見がでるほどの大盛況だったということを伺いました。私は、阿武隈川さんの提案を心で受け止め、そして秋吉さんが、素晴らしいコンサートを平泉郷土館でなさったということで、上記のような提案を思いついたのものです。

秋吉さんのようなビッグアーチストが、満員とは言え、わずか250名ほどの聴衆の前で、渾身の演奏をされ、ご自身でも大変満足し、今度はご主人のサックス奏者ルー・タバキンさんを連れて来て、一緒に演奏したいと語ったというのは、すごいことです。おそらく、平泉をテーマにした曲を書かれ、それを初演されるような構想もあるのかもしれません。

何故、秋吉さんが平泉でプレイしようとなされたのでしょう。それはおそらく、平泉という奥州平泉文化に対する興味のようなものが、きっかけにあったと思います。周知のように、秋吉さんは、ジャズの世界では、ジャズに日本的な要素を取り入れて、ジャズに革新をもたらしたとして、本場のアメリカでジャズの殿堂入りも果たしているような巨人です。

彼女は、1974年、故観世寿夫氏の協力を得て、曲の中に能の謡いを取り入れたり、鼓などを入れたりしました。水俣病の悲惨を世界に訴えるために作った「ミナマタ」という曲です。彼女は、自らのバンドで、それを演奏しました。大変スピリチュアルな雰囲気の演奏です。そこには日本文化の粋としての能が、ジャズという音楽と見事に融合し、幽玄な美を醸し出しています。

彼女は花伝書や五輪書を読みながら、ジャズの中に、自己の血である日本的なものを入れることを真摯に続けてきたアーチストです。そのように考えますと、能の原型ある延年の舞は、平泉で見事に継承されています。秋吉さんが延年の舞などを見られたかどうかは知りませんが、おそらく日本文化の根底にある芯の部分が、平泉のそこかしこの空気の中に浮遊していることを感じ取られたのでしょう。

秋吉さんの演奏会をしたことを平泉の方にお伺いしたところ、はじめとても、観客が集まらないのではと、秋吉さんに丁重にお断りを入れたそうです。秋吉さんは、「それでもやりたい」と言われたそうです。その意味は、彼女のような気根をもって、自己の芸術を志向しているアーチストにとっては、損や得ではなく、名誉でもなく、これまで歩んできた芸術にさらに深みのある音楽を創造したいという信念しかないと思えるのです。

秋吉さんは間違いなく平泉の風景の中に芸術的創造力をかき立てられているのです。

私はもしも、冒頭で提案したような僧坊を、建設しそこにアーチストを招くような制度を作って、実行したならば、もの凄い数のアーチストが、その僧坊で芸術活動をしたいと応募されるようになると確信します。平泉は美を創造するアーチストたちの新たな理想都市と呼ばれることになるかもしれません。そんなことを考えましたら、町のイメージが浮かんできました。ジャズクラブや、コンサートホール、画廊、などが古都平泉の景観に調和しながら立ち並んでいます。現在の平泉は、文化施設も乏しく、何もかも平泉郷土館で実行しているような有様です。町のそこかしこでアーチストが行き交い、そのアーチストの作品に触れるために平泉には自然に人がやってきます。そんな平泉の新しい姿が浮かびます。

もちろん私も、そうなれば、将来必ず平泉に住みたいと思うひとりです。1万を越えなければという、消極的なプランより、平泉のもつ潜在的可能性を活用することこそ肝要だと思います。そのためにも、平泉は、もっと外の声を聞き、大きく手を拡げて外から吹いてくる風を受け入れるべきかと思いますが。いかがでしょうか。

参考
私は、今秋吉敏子さんについて、「秋吉敏子論」というものを書いている最中です。よろしければご笑覧ください。

http://www.st.rim.or.jp/~success/akiyosi_ye.html

 

自分の目と他人の目

 投稿者:鈴木  投稿日:2005年 3月17日(木)06時40分14秒
返信・引用
   佐藤さんの以前の投稿で知床の世界遺産に関する話題を紹介していただきましたが、とても興味深く拝見させていただきました。自然世界遺産としての場所に防砂ダムという人工の建造物がどうしてあんなにも多いのかと委員会からの苦情が殺到したという話です。
 地元の住民から見れば世界遺産にふさわしいい場所と思っていても世界中の世界遺産を見て回ったその道の専門家から見ればそうではないという典型的な例だと思います。自然を何故自然としてそのまま残さずに人の手を加える必要があるのかといった内容だと思いますが。
 いずれにせよ自分達の目から見て誇るべきにふさわしい自然景観だとしても他の人間の目からは全くそうではないという教訓が読み取れます。
 
 

提案

 投稿者:阿武隈川  投稿日:2005年 3月12日(土)12時43分46秒
返信・引用
  平成の大合併を見送った平泉町は当面、単独で行くようです。それには1万人の町民が必要で(今は9千人くらい)足りない分を町外から募集するようです。
このサイトに参加している人たちは平泉の変化を真摯な気持ちで憂い、有意義な意見を出しているのに「外の人間は口を挟むな」的なことを言われます。
ここは平泉町政の一大事に協力して、事情が許す人は住民票の移動を、できる人は平泉の住人になってはいかがでしょうか。そして町民として発言すれば、言葉に重みが加わります。それは世界遺産登録の推進力となると思います。
 

黄金の都市平泉を世界遺産にするために!!

 投稿者:佐藤メール  投稿日:2005年 3月11日(金)20時48分34秒
返信・引用
  阿武隈川さん

感想どうもありがとうございました。
平泉の景色は、本当に変わってしまいました。
束稲山が迫って見える理由は、川が前方にあって遠近法の役割をはたしていたものがバイパスによって遮断されたために、近く見えるものと推定されます。

このサイトは、確かに「高館からの景観が損なわれる」ということで、開かれたサイトです。しかし現在は、平泉という歴史文化を持つ中世都市というものが、今後どのような形で未来に引き継がれようとしているかということを総合的に考えてゆくようなサイトにしたいと考えています。

単にバイパスが悪い。高館からの景観が台無しになる。それは当初の発想でした。今は、バイパス工事という発想そのものの奥にある近代的な国土開発の思想こそ考え直さなければならないと思っています。それは、堤防以外に、水害を防ぐ方法を模索することであり、バイパス以外の渋滞緩和の方法を考案することではないかと思っています。私は平泉の高館周辺を本当の意味の遊水地にすることではないかと思っています。また渋滞緩和には、ガラガラの東北縦貫自動車道をこの平泉区間を特別料金あるいは無料にして、素通りさせる方法もあると思っています。

高館は、芭蕉が平泉で一番最初に訪れた場所です。もちろん芭蕉は、月見坂を登って東物見にも行ったと思います。東物見からも、平泉の景色の変化は鮮明に見られます。衣川河口部分が、3年間の水害から、堤防のかさ上げ工事が始まっています。衣川の河口部分の河床は、コンクリートになっていて、下には緑色の苔が生えています。東物見の景色も昔とはまったく様変わりしてしまっています。今度是非東物見からの景色をよく見てください。傷痕のようになって見えますから。

今平泉全体が、工事現場のような状況なのです。往時の平泉は、水を遮断するような発想の都市ではありませんでした。ベネチアという町がイタリアにありますが、平泉は、水の都でした。柳の御所には、深く猫間が淵というものが、横たわっていて、北上川の清水は、平泉という都市の前であたかも呼吸をしているような状態でした。

中尊寺にも大池という池があり、毛越寺には大泉が池があり、金鶏山から、わき水が流れ込んでいました。このような地域を都として、初代清衡公は、何故選んだのか。「平泉」という町の名にもそれがよく現れていると思います。

さて、バイパスは、まだ出来上がっている訳ではありません。完成はH19年の予定であり、衣川の先で、4号線と合流する部分は、現在進行中です。そこで問題があると思っています。平泉は現在ユネスコ世界遺産の候補になっているからです。周知のようにユネスコ世界遺産は、人類の文化遺産が、開発や戦争などによって、消えてしまうのを、防ぐという目的で、出来た条約です。

世界遺産には、コアゾーンと、バッファゾーンというものを設け、コアゾーンだけではなく、広い地域が、世界遺産に相応しいような景観でなければならないことになっています。以前、平泉のコアゾーンは、うんと狭くて、中尊寺と毛越寺を中心とする地域に限られていました。でも、この数年で、バッファゾーンだった柳の御所から高館にかけての北上川の周辺もコアゾーンに含まれるようになるなど、世界遺産の範囲がぐーん拡がったのです。しかしどうでしょう。コアゾーンの前に、ドーンと景観を害する構造物のバイパスが横たわっているのです。当初から、私たちは、このバイパスは、世界遺産登録時に、必ずネックになると主張してきました。それが現実となっているのです。ですから単に、植栽などで、地域に馴染ませればよいというような、付け焼き刃的な景観の修景では、どうしようもないということになります。文化とは理念で、哲学ですから、コアゾーンの横にそれこそ万里の長城では話にならないわけです。

今後とも様々な意見をお寄せ下さい。ありがとうございました。
 

感想

 投稿者:阿武隈川  投稿日:2005年 3月10日(木)16時24分20秒
返信・引用
  一昔前、ふた昔前とずいぶん変わってしまったなあ、という感想です。
しだれ桜に関していえば、幸せな木だなあ、と思いました。種がこぼれれたか植樹されたかはわかりませんが、いい場所に生まれ育ち、容姿も美しいので助命され、ランドマークになってみんなから手厚く手当てを受けて、注目されている。私はつい沿道のみすぼらしいソメイヨシノにわが身を重ねてしまいました。

周囲の景色は堤防・バイパスができてずいぶん高い位置から束稲山を仰ぐことになりましたが、気のせいかもしれませんが、山がぐんと大きく迫ってくるような感じを受けました。

堤防・バイパスの要・不要については以前から盛んに論議されているのを拝見していましたが、堤防は被災する人がいるなら必要だし、それに勝って自然環境を守らねばならないなら、まず低地住民の移動を考えてやらなければ片手落ちだと思います。
バイパスについてはここは「高館からの景観」に注目するHPですから、当然ないほうが美しい眺めでしょう。ただ、中尊寺に東物見台というのがあって、ここから芭蕉は眺めたかどうかはわかりませんが、ここもなかなかよい眺めです…国道4号の車の流れがなければ。バイパスができてそちらに通過車両が行ってしまえば、月見坂の登り口あたりから物見台まで寺らしい静かな佇まいが戻ってきそうで、あちらを立てればこちらが立たず、という感じを受けました。

いずれ、できてしまったものは仕方がありませんから、あとはなるべく早く視野に溶け込ませるしかないんじゃないでしょうか。そのうち万里の長城のように歴史的建造物になるかも…ということはないでしょうけど。


 

一隅を照らす「平泉の一本桜」?!

 投稿者:佐藤メール  投稿日:2005年 3月 9日(水)21時34分26秒
返信・引用
  阿武隈川 さん

美しいハンドルネームですね。
阿武隈川さんが北上川を観た感想をお伺いしたいですね。

さてお尋ねの件ですが、あなた様がおっしゃっている通り、道端に二本ソメイヨシノと思われる桜があります。これは戦後に植えられたと思われるもので、旧高館橋の袂で美しい花を咲かせていた桜です。

「最後に一本残った」という表現は、柳の御所の一角内ということです。あのしだれ桜以外にも、柳の御所内には、何本か桜があって、あの桜の脇にも、伐られた桜の切り株が残っています。あの桜も一度伐られようとしたのですが、亡くなった平泉町の某課長の英断で、伐採を免れたものです。しだれ桜の年齢は、100年から150年と推定されていますが、同じような樹齢の木があの周辺にも何本かあったということです。

さて皮肉にも、バイパス工事によって、あの一帯が吾妻鏡にある「平泉館」と比定されることになったのですが、あの一本の桜を守ることについて、私は単に一本の木の命を救うとい意味を越えて、平泉という奥州人のアイデンティティのような無形の心を未来に伝える行為だと考えているのです。

「一隅を照らす。これ則ち国宝なり」という最澄さんの有名な言葉があります。一木一草の命を尊び、そこに神仏を視る。これは最澄さんの辿り着いた境地です。その精神を奥州に伝えようとして、最澄さんの弟子である円仁さんは平泉にやってきたのです。そして円仁さんは、最澄さんの深い思いのこもった「思念」という美しい種子をこの地に根付かせたのだと思います。タネに水を施したのは奥州藤原氏初代清衡さんでありましょう。この一本の桜には、平泉を思う人々の思念が桜というものに化身していると思われます。ですから、私はどうしてもこの桜を守りたいのです。昨年夏、葉が全部抜け落ち、いっぺん枯れかけた桜です。しかしこの桜を守りたいという人々が地元を中心に全国的な拡がりを見せ、このような大きな動きになっているのです。

お分かりいただけましたでしょうか。阿武隈川さん。周囲の景色についてのご感想など、お書き込みいただければ幸いです。
 

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