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  1. 世界遺産について語る掲示板(1)
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4月4日の推薦書委員会の構成資産5つの絞り込みでも厳しさは変わらない!!

 投稿者:佐藤  投稿日:2009年 4月 5日(日)16時59分27秒
返信・引用 編集済
  09年4月4日(土)、文化庁で開催された「平泉の文化遺産」推薦書作成委員会(委員長:工藤雅樹福島大名誉教授)で、ついに、平泉の9つの構成資産のうち4つが外される方針が示された。

結論から言えば、奥州市の衣川地区にある「長者原廃寺跡」と「白鳥舘遺跡」。一関市の「骨寺村荘園遺跡」。平泉町の「達谷窟」。以上の4つの構成資産が外されることになった。これは文化庁にとって、昨年7月カナダのケベック市で開催されたイコモスからの厳しい指摘により「登録延期」となったことを受けて、2011年度に、登録を受けるための、ギリギリのタイミングでの苦渋の決断だった。

今回の推薦書委員会の決定は、正式なものではない。文化庁は、これまで9つの構成資産を登録することを、「登録延期」決定直後に明言した経緯があり、構成資産の登録を外されることが決まった奥州市や一関市との協議が残されており、相当の波乱が予想される。

文化庁としては、2月にイコモスから招請した中国とカナダの専門家の意見を聞いたことで、構成資産の圧縮は、やむを得ないと言いたげだが、やはり勢いで登録延期決定直後に語った「9つの構成資産を変えない」とした発言のツケは大きい。

ところで残った5つの構成資産においても、問題がないわけではない。中尊寺、毛越寺は、問題ないにしろ、「浄土思想」から「浄土世界」という風にコンセプトが変わった中で、その軸線としての「金鶏山」と「無量光院」のふたつの構成資産には、大いに問題がある。分かりやすく言えば、金鶏山の周辺には、鉄塔問題があり、さらにその南西には温泉地として造営された塔山地区が、開発によって変貌を遂げている。「無量光院」には、その遺跡を掠めるように東北線の線路が走っている。この浄土を観想するはずの金鶏山(須弥山のイメージ)と無量光院の軸線の間には、さらに4号線が走っている。つまりこのふたつの構成資産を繋ぐ空間には、あまりに多くの障害物が横たわり過ぎている。やはり、イコモスを説得する方法としては、この軸線周辺の景観をどのように修景するかという将来に向けた具体的保全計画を添付することが必要だと思われる。そして最大の問題は、平泉の政庁としての「柳の御所跡(平泉館)」である。やはり、今回の会議でも、その内容については、2月のイコモス国際委員の意見を受けて、柳の御所跡に関しては、「残すことが可能」という玉虫色のニュアンスである。

朝日新聞岩手県内版では、その辺りを踏まえて、このような記事になっている。

『構成資産として残ることが確実なのは中尊寺、毛越寺、無量光院跡、金鶏山の四つ。柳之御所遺跡は「含めることが可能」と結論づけた。』(4月5日朝刊)

この4つの「確実」とひとつの(柳の御所)「可能」との差は、極めて大きいと言わねばならない・・・。


以上を踏まえて、私見を述べさせていただけば、4月4日の推薦書委員会の決定を読みながら、絞り込みの方向が示されたとは言え、全ての状況において、前途多難な状況に変わりはない。厳しく言えば、もっと削減すべきではないかとさえ思われる。イコモスの再審査を前に、全てにおいて曖昧さを残してはならないのである。

昨年7月の登録延期という平泉ショックから、何か変わったことがあるのか。確かにキーコンセプトが「浄土思想」から「浄土世界」に変わった。だが、義経が命を落とし、芭蕉が感嘆した平泉の文化景観そのものを否定するごとき「平泉バイパス」という巨大な公共事業の傷跡が「柳の御所跡」の真ん前に横たわっている。この視覚的な醜悪さに目をつぶって、これも世界遺産のコアゾーンなどと見てくれるはずはないのだ。

いや、イコモスの専門家でなくとも、たまたまあの景観を見た観光客に、こう尋ねてみれば良い。

「この場所が世界遺産の中心に見えますか?」と。

この醜悪な姿を見た時、誰がこの地域が「世界遺産」であると思うだろうか。また金鶏山周辺の開発にストップをかけられぬ不細工な景色を見て、誰がこれを世界遺産と思うだろう。無量光院周辺のはぎ取られたように群生する草むらを歩いて、誰がここに宇治の平等院をしのぐスケールの御堂が立っていたと思うだろう。線路の脇にある桜は天狗巣病で瀕死なのを知っている関係者はいったい何人いるのか。

今こそ、平泉は、2011年の登録を目指し、大きな政策の転換と修景への具体的な保全計画を策定しなければならない。そしてその保全のタイムスケジュールを具体的に推薦書に書かなければ、2011年再び、悪夢が再現されないとは誰も言い切れない。
 
 

(無題)

 投稿者:睦月  投稿日:2009年 3月13日(金)22時58分46秒
返信・引用
   現在本寺の若者もほとんどが内心では地元から離れて暮らしたいと思っているようです。

でも年を重ねるにつれて望郷の念は強くなり、地元のよさを何かをそんなわらしたちに教えようと思うのですが結局はなんともならないようです。

わたしのいままでの見方からいうと今も昔もその繰り返しのように感じます。今の若者も自分の若いときと同じ感覚ではないかと思います。
 電気もなくらんぷで明かりを取ったりしていた我々が若いときの時代と比べて携帯でイロイロやってる若いのは精神力や気力や根性などは乏しいとは思うのですが。
 

(無題)

 投稿者:本寺の哲也メール  投稿日:2009年 2月 5日(木)00時25分48秒
返信・引用
  私は今年になってこの掲示板と出会って、ずいぶん平泉の景観問題とその背景について考えさせられました。正直、夢中になっています。佐藤さんよりも発言回数が多くて誠に恐縮しています。ただ、平泉の近くに生まれ育ち、今は外に住んでいて両方の視点で見えるので非常に発言したくなってしまうのです。

この掲示板を読むと平泉の外から非常に高い期待、非常に格調高い問題提起が多いように見受けられます。私はそのような期待や問題提起に地元は応えるべきだと思います。しかし、一方で私を含め地元の人は発言の裏に現実問題を感じています。それは、あたかも『温度差』のように映るかもしれません。そして、地元もしくは地元出身者は実利的に受け止められるかもしれません。

そんな『現実』を説明したくなります。(説明癖があってすみません)
私が子供のころは父を含め、近所のおじさんたちの多くは農閑期は関東に出稼ぎに行きました。戦後、徐々に現金が必要な社会に移行していったのでしょう。私は今でも父と始めて出会った時の記憶が残っています。出稼ぎから帰ってきた父が「よそのおじさん」のように見えて人見知りして泣いた記憶があるのです。しかし、間もなく春の田んぼの代掻きの時、父は耕運機に私を乗せて代掻きをしてくれて、父と私は仲良しになりました。
家は酪農もしていました。なおかつ母も外で働いていました。現金収入が必要だったので大人たちは大変だったと思います。
そんな環境は、伝統文化を伝承したり、地元に誇りを持ったりする状況ではなかったんだと思います。私は親から伝統やしきたりなどを教えてもらった記憶がないのです。戦後長い年月をかけて、日本中の田舎は誇りをズタズタにされたのではないかと思います。誰が悪いという話ではありません。社会の必要性からそういう構造になっていたのでしょう。ただ、田舎の住民は自分達の村に価値を見出すことはなかったと思います。
対照的に東京の下町といわれるところは今でも伝統の祭りが盛んで伝承は次世代に引き継がれていると聞きます。両者の違いは簡単に言うと、生活の余裕でしょう。そしてそれが生み出す生まれ育った土地に対する自信でしょう。東北の寒村では職のある都会に出て行かなくてはならなかったのです。課題は明らかに経済力という意味で『生活』だったのです。
今も状況は大差なく、私が育った本寺も平泉も似たようなものだと思います。
昔は日本中貧しかったという人もいるかも知れませんが、東北の寒村ほど経済的な貧しさとともに誇りも貧しくなっているところはないのではないかと思うのです。
私は平泉の景観が残ってほしいです。地元の人が活発に主張し、活動してほしいです。そのためにはある程度の豊かさがほしいところです。
 

(無題)

 投稿者:観光客  投稿日:2009年 2月 4日(水)18時45分51秒
返信・引用
  平泉世界遺産登録云々がきっかけで ドイツナチスアウシュビッツ 負の遺産に出合いました。 世界遺産登録への意味が 具体的に理解できました。
昨年、平泉は登録延期  と言うイコモスの判定が下ったようですが 再度登録云々の前に 観光客として不快感を得た点。  飲食店が客の荷物を引っ張りあうほどまでエスカレートした客の争奪戦。 藤原時代 争いのない平和な後世を願って繁栄の地を築き上げた思いは どこで守られているのか?
延期はそのような矛盾点を見透かされたのではないかとさえ思ってしまいました。旅先での思い出は その地の人との 交流からをも 一層深いものにしてくれます。
佐藤さんの朝霧に包まれた山河の写真には その時の不快感が消え失せ平泉に対する慈しみと情愛が伝わり藤原時代を垣間見たような思いがしてきました。
観光客は目的地を観 それに付随して尚深い思い出を求めます。
平泉に限った事ではありませんが 訪れた人に安らぎや 温もりを注いでこそ相互に平和な心が生まれるものと 信じます。
 

(無題)

 投稿者:本寺の哲也メール  投稿日:2009年 2月 2日(月)01時41分36秒
返信・引用
  家は人が住まないと廃墟になります。
田畑も何年も耕作しないと土地が農業に適さなくなります。
古い車は手入れしつつも適度に動かしてコンディションを保ちます。

そういう意味で、生き生きした平泉を保つためには、人の営みが不可欠です。
つまり、経済です。最低限、存続可能な程度の経済力は必要です。私のふるさとは存続の危機ですので。

私は歴史や景観の保存のためにはむしろある程度の経済活動は必要だと思います。
ただし、経済活動=開発ではないのでしっかりとした考え方が必要ですけど。
適度な経済活動が営まれていれば、文化を保存しようとする余裕も生まれます。さらには新しい文化を発信しようとする活動も自然発生的に生まれます。

従って理想論かも知れませんが、平泉は世界遺産に登録され、地元は規制を受けつつも健全な観光業を中心に潤い、町民が平泉の恩恵を実感し、景観を戻そうという運動がうまれるという筋書きがいいと思います。

要約しますと、歴史・文化・景観を守ることと経済活動は相反するどころか両立可能だし、両立を目指すべきだと思います。経済力の恩恵は景観回復にまで及びうるので。
 

(無題)

 投稿者:むっくん  投稿日:2009年 1月31日(土)22時44分2秒
返信・引用
  開発されず、世界遺産登録されず、がいいと思うが、でもそれも自分の価値観から述べているのであり、結論を出すのは困難だ。
 世界遺産登録されて観光客が大勢訪れるような町がいいのか、その過去の歴史的価値を残す貴重な場所でいいのか、あるいは現状維持で素朴な風意気の町並みがいいのか、それともそこで暮らす人々の利便性を重視する町がいいのか、原子力発電の核廃棄物の地層処理を率先して立候補する町がいいのか?
 なるようにしかならない。
共感を得られれば、それが主流になる確立を上げ、結果を残すだけだと考えている。
 西暦2009年現在生きている我々の歴史的価値はどれくらい重要なんでしょう?
後の世に世界遺産として登録されそうなものは今から創造してできるのだろうか?
 

(無題)

 投稿者:本寺の哲也メール  投稿日:2009年 1月31日(土)09時12分47秒
返信・引用
  なるほど!平泉バイパス反対運動の歴史や背景がよくわかりました。

私は、説明するまでもなく、平泉バイパス反対派(遅いかもしれませんが)です。
ふと思ったのですが、景観というものを議論するのは難しいですね。あまりに各々の主観が違いすぎて。
もしも「なぜ景観ごときで開発に反対なのか?」と問われれば、私の場合極めて感覚的ですが、「痛々しいから」と答えてしまいます。また、歴史を残すことに意味があると感じるので「もったいないから」とも答えると思います。ですが、多分、説得力はないです。

そう感じるのは、昔、本寺川の護岸工事で自然の川の蛇行や岸の木々がなくなり、殺風景になったときのショックがトラウマになったからだと思います。よく釣りをしてましたから。そういう経験から、開発は痛々しいと感じるのだと思います。

しかし、残念ながら世の中は意外と「景観ごとき・・・」あるいは「我々の生活はどうなるのか・・・」と感じる人が多いのではないかと悲観的になってしまいます。心の中で、そんな開発ごときであなたの人生が豊かになるとでも言うのか?と思いながらも口ごもりそうです。

私はニューヨークのマンハッタンの摩天楼も、東京の道路の曲線に沿ったビル群も、歓楽街の猥雑な景観もOKと感じるのですが、一方で歴史のある場所では開発には反対なのです。これって、説得力ないでしょうか。景観というものを語るほど一貫した思想を持っているわけではないです。あるいは、その土地、その土地で何を大事にすべきかという景観の背後の考え方は異なるべきなのかな?とも思います。

やはり、地元の有力者の考え方が一番反映されるんでしょうか。だとすれば、リーダーとなる人は思想家であってほしいです。
 

「バイパスは英断」という言葉が語られる意味について

 投稿者:佐藤  投稿日:2009年 1月22日(木)19時48分22秒
返信・引用 編集済
  本寺の哲也さま

国土交通省の友人の件、読ませていただきました。

国土交通省には、さまざまなセクションがあり、そこで働く人も、役人らしい人、技術屋の人、学者っぽい人、文化人のような人など、色々なタイプがおられます。

でも、中央集権組織としてまとまると、「平泉バイパス」を容認せざるを得なくなってしまうのではないでしょうか。

政権交代を前提として、今の日本に必要なのは、脱官僚の考え方だと思っています。地方文化の保全にとって、官僚制度の悪癖の最たるものは、画一的な開発思想で、橋でも道路でも、個性のないものを、平気で作ってしまうことではないでしょうか。そのため、明治以降、各地方が個性のある景観や特徴ある建物は、どんどんと少なくなってきました。地元の文化や風土に根ざした開発のできる組織が今ほど求められていることはありません。

平泉バイパスにつき「ルート変更は『大英断』」との認識は、一般的なものです。それは計画のあった柳の御所の上を掘ったところ、遺跡の跡が見つかり、そこでバイパス反対運動が起こりマスコミも騒いだため、苦肉の策として、バイパスの路線を変更して、北上川の流路まで変えてしまったので、バイパス反対運動は、功を奏したとして、国と反対側は手を握って、「大英断」となったものです。この時、反対運動は、バイパスがもたらす平泉全体の景観の破壊を気づいていませんでした。

第一回目のバイパス反対運動は、柳の御所の遺跡を保全する運動であって、平泉の大きな景観を意識した運動ではありませんでした。この時には世界遺産など考える余地もなく、コア・ゾーンやバッファ・ゾーンなどの考えもありませんでした。現状のままで、世界遺産の登録の基準を素直に当てはめれば、あのバイパスがある限り、柳の御所は、世界遺産のコア・ゾーンにはなり得ないと思われます。もちろんその意味では、敷地を掠めて東北線の電車が通る柳の御所も同じです。

つまり第一回のバイパス反対運動は、時代の制約を受けていたということです。

二回目のバイパス反対運動は、私たちが、高館からの景観、芭蕉の夏草の句の景観が、台無しになるとのことで、訴えたもので、まったく盛り上がりに欠けるものでした。そこで、まだ平泉が世界遺産に登録されるなど考えられなかった時に、世界遺産の登録基準を楯にして、このバイパス建設の再考を世の中に訴えようと始まったものでした。その時、忘れもしませんが、あの直木賞作家、故三好京三先生は、「高館からの景観など、どこにでもある川原ではないか」、「バイパスは英断」と言われたようです。先生はアイオン台風の洪水の経験者で、堤防が必要との考えで言われたと思いますが、それにしても、がっかりしたことを覚えています。

その意味では、哲也さんが国交省の仙台の友人と同じ認識だったわけです。これは第一次の反対運動後の共通認識だったわけです。

現地の文化人と言われる方の意識が、そのような具合ですから、その後の平泉バイパスを高館の景観問題として、提起し再考を促す動きが盛り上がることは残念ですがありませんでした。

でも私には夢があります。それは平泉が、まず可能な範囲で、世界遺産に登録され、その後、徐々に世界遺産の範囲を拡げて、可能な限り、西行が見たり、芭蕉がこれは凄いと思った景観を、取り戻すところまで、都市平泉の研究が進み、一歩一歩と、往時の景色が戻ってくることです。

その意味では、コンクリートの河岸工事は、絶対に排除しなければなりません。現在行われている衣川の堤防工事なども、世界遺産登録にとっては、自傷行為いや自殺行為に他なりません。

平泉バイパスもそうですが、それがどのようなものであるのか、理解されていないと思うのです。

いつか、私の夢が、実現する時代が来ることを信じています。
 

組織の病気だな・・・

 投稿者:本寺の哲也メール  投稿日:2009年 1月22日(木)01時52分37秒
返信・引用
  私の友人に国土交通省の人が二人います。一人は仙台、もう一人は奈良にいます。二人ともいい友人なのですが、それは置いといて、国土交通省の批判をします。
仙台の友人に聞くと、「平泉パイパスのルート変更は『大英断』と呼ばれてんだョ」とのこと。
わたしはビックリしました。これが官僚制というものか・・・と。なんという腰の重さ!なんと小回りの効かない組織なのか!一度決めたことを変更するのがそんなに面子をつぶすことか?と思いました。
確かに、長年地権者との交渉をしてきたのを変更したり、予算を改めて取り直したりは大変かもしれません。しかし、例えば日本の民間の組織と比較します。日本のメーカーは業種に限らず積極的に(意味なく?)モデルチェンジしますが、そのときの手間隙は大変なものです。どれだけ売れるかわからないまま部品メーカーと交渉することを考えるとそれは大変なことだと思います。日本のメーカーは極端に腰が軽く、小回りが利くのかもしれませんが、同じ日本に正反対の国土交通省(他の省庁も?)という組織があるんですね。

もう一人、奈良の友人は「昔、本寺近辺は建設省で巨大ダムの建設の候補地になってたんだョ」と聞きました。
これにもわたしはビックリしました。これが官僚制というものか・・・と。専門分野においてはなんという大胆さ!猪突猛進さ!無神経さ!。第一、何百億円もかけてもダムが必要なのか?自分達の専門分野で突き進むのが組織の使命なのか?本来の目的など忘れて、手段を目的にして平気なのか?恥ずかしくないのか?

佐藤さんのような方がこのような組織を相手にいろいろな活動をし、人生の一部を費やされていることを考えると、国土交通省には腹が立つと同時に大変意味があることと思います。

私は平泉の4号線の交通量を知っています。個人的意見では、バイパスは必要ないです。日本中あちこちにあるので例にだしますが、『なぜか渋滞する4車線』と『なぜか流れのいい2車線』があります。前者は交差点が4車線のままで、文字通りネックになっています。後者は交差点だけはしっかり右折レーンと左折レーンを設け、オマケに左右に矢印信号を付けて時間の無駄をなくしたり、さらに歩道橋や地下道(車椅子用エレベーターつき!)で歩行者を通したりするところもあります。
だって、あの湘南海岸の江ノ島あたりだって2車線じゃないですか!あの交通量で!
ですから、平泉の交通量では技術的にバイパスなしでOKだったと思います。

それと、これも日本中にある現象ですが、凝縮していた小都市がバイパスが出来ることで拡散してしまうことがあります。確かに現代は車社会ではありますが、街づくりの担当者はこの事態を正確に予測していたのか疑問です。岩手でも盛岡以南の4都市で顕著なのではないかと思います。規模は違うので単純比較は出来ませんが、例えば仙台はコンパクトシティを目指しているというし、神戸は地形的に東西に細長いのでいい意味で凝縮を保っています。
都市づくりは国土交通省のコンセプトに乗っかってたらだめですね。

国土交通省は4号線は全部バイパスでつなげたいのかもしれませんが、あえて平泉でそれを諦めるくらいで本当の大英断だったかと思います。「国土交通省が平泉の景観を守った」というエピソード付きで。
しかし、実際は国土交通省の組織の固さを物語るエピソードが残りました。
アウシュビッツはその悪名が永遠に残されるように、国土交通省も『官僚制の弊害』が自らつくった平泉バイパスという建造物で残ってしまいます。永遠に。
 

(無題)

 投稿者:本寺の哲也メール  投稿日:2009年 1月11日(日)01時15分15秒
返信・引用
  平泉の近くに生まれたのに、私は故郷を離れていて世界遺産や景観問題については全く問題意識がありませんでした。たまたまこの掲示板を見つけて気軽に投稿したものの、よくよく過去の投稿を読んでみると、実は大変盛んな議論がなされていて背筋が伸びた気がしました。そして一本の桜の木をめぐり、具体的に行動している方々がいらっしゃることを大変嬉しく思い、また一方で自分が傍観者として評論しかできないことにじれったさを感じました。
今の私には故郷の現状や歴史の知識さえ乏しく解説はできませんが、それでも続けざまに投稿します。この掲示板には大変引き付ける力がありますので。

先日、祖母が亡くなり本寺に帰省しました。世界遺産について親兄弟親戚近所の人たち・・・にいろいろ聞いてみると、今この地域が平泉と共に注目されていることに誇らしさもある一方で、住民は決して儲けられないという人が多かったのです。そしてそれ以前に地域の存続さえ出来ないのではないかという問題がありました。確かに嫁不足に端を発した後継者不足等で空き家が目立ちました。
しかし、地域の崩壊は今に始まったことではありませんでした。祖父の時代は学区の同級生は60人いたと言っていましたし、6歳上の兄の時は45人くらいで3歳上の姉で38人、私の同級生は21人でした。そして今、小学生の甥の同級生は6人と言っていました。ローマが一日にして出来たわけではないのと一緒で、本寺も崩壊の兆候はずっと前からあったわけです。
思い返せば本寺は『文明』と言う外来種に遭遇した『伝統文化』という在来種みたいなものではないかと思います。私は子供のころから古い文化が朽ちていくのを目撃してきました。
小学校にあがるまで田植えは手で植えていましたが、近所の人たちと互いに協力して行っていました。それは遠足気分・お祭り気分で楽しかったように思います。しかし、田植え機の普及と共にその伝統はなくなりました。
また、萱葺き屋根も沢山ありましたが、トタン屋根に変わりました。共同で萱葺き作業をしていたのだと思いますが、今は1件もありません。
兄の世代は子供達は外で遊び、野球が出来る人数がそろったと言います。しかし、私の時代は無理でした。変わってTVゲームが普及しだしました。
駒形根神社で行われた秋祭りの記憶は5歳くらいでしょうか、それを最後に祭りはなくなりました。

文明は大きなうねりとなって日本中の田舎を襲いました。うねりがあまりに大きいとうねりの存在さえも自覚しないまま無防備に曝されました。田舎の子供たちは地域に未来を感じられなくて都会に出ました。

しかし、私は文明に光を見出します。文化・文明という言葉の定義の問題もあり、それについては私は言及する力量がありませんが、なぜかしっくりくるのでその言葉を使い続けます。今にも崩れそうな無意識な伝統文化に対し、文明はある種暴力的な力がある一方で、非常に練られた思想が柱にあったりするのではないかと思うのです。ユネスコの世界遺産がまさにそうであり、佐藤さんの問題提起も優れた文明に思えます。
文明に翻弄された過疎地ですが、今度は練られた思想という文明を駆使して過疎地の伝統文化を守ることが出来るのではないかと思うわけです。

私がイメージしているのはスイスです。
私が子供のころ、スイスのイメージは『アルプスの少女ハイジ』でした。私はてっきりスイスという国は時代遅れの貧しい国だと思っていました。しかし、バブルの時代、GNPという言葉がよく聞かれた時代ですが、一人当たりGNPが一番高い国はスイスだという統計を知り、だまされたと思いました。あの古臭さは観光を目的とした計算ずくの景観だったわけです。それで豊かな生活をしているなんて、ある種の凄味を感じました。
決して、豊かさ=開発=景観破壊ではないわけです。
スイスという永世中立国が出来上がる過程で、名前がそんなに知られていない大変な賢者がいたんじゃないかと想像するわけです。

だったら、現代の平泉でも我々(私も仲間に入っているつもりで書きます)が賢者になっちゃえばいいじゃないか!と思うわけです。そして現に活動している方々がいます。大変うれしいことです。

また、世界遺産と経済が相性が悪い、つまり両立が難しいと考える方が多いように見受けられますが、私はそうは思いません。賢者になればいいんです。世界遺産は、誤解を恐れずに書きますと、ビジネスとしての追い風になります。企業が宣伝費にいくら使って、付加価値をつけて高価格で売るのにどんなに苦労しているかを考えれば明らかに追い風です。
金儲け主義に走れとは言いませんが、地域が成り立つくらいの経済的自立は絶対条件でしょう。
 

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