teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 世界遺産について語る掲示板(1)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


Re: Kさんへのお答え「世界遺産を見る目を養うこと」

 投稿者:K(仮名)メール  投稿日:2008年 7月14日(月)07時58分32秒
返信・引用
  世界遺産登録延期の後平泉町についていろいろと考えてみましたが、やはり直接平泉町の風景を見ないと何も分かりませんね。どうもありがとうございました。  
 

残念だが決してマイナスではない!

 投稿者:げんび系  投稿日:2008年 7月 9日(水)23時16分1秒
返信・引用
  生半可な観光地平泉など世界遺産になどなれないのだ。
平泉の真の歴史的文化的価値を認識してからこそ世界遺産になればよいのだ。
 

平泉「登録延期」という衝撃をモラトリアム期間として受け入れること!!

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 7月 7日(月)22時29分34秒
返信・引用
  本日7月7日、平泉の世界遺産登録が、「登録延期」と正式に決定されました。予想されたこととは申せ、関係者、地元の人々にとっては、大変なショックであったと拝察します。

またこの問題は、「平泉ショック」となって、世界遺産を町おこしのテコにしようとしてきた国の積極的な取組にも、大きな変化を余儀なくすることは必至の状況だと思われます。

特に平泉の推薦書の書き様を、ひとつのモデルとして、推薦書を構成しようとしてきた鎌倉には、大変な影響を及ぼしているようです。国力(政治力)を背景にした登録運動ではなく、やはりイコモスの登録基準というフレームにきっちり収まるような文体で、普遍的な価値の証明できなければ、これからは登録されないと覚悟して、精緻な推薦書を仕上げなければならないと思います。

その意味で、私は今回の平泉における推薦書を再びゼロから仕上げなければならないということを、モラトリアム期間として、むしろ前向きに捉えるべきだと考えています。浄土思想では、どうしても括ることのできないコアゾーンや、あまりにも狭い骨寺のバッファゾーンの範囲設定などの基本的な誤謬は、「真正性」、「完全性」という文化景観に対するイコモスの基本認識を、推薦起草者が、残念ながら曖昧にしか理解していなかったことを物語るものだと思います。京都と平泉では、どこが違うのか。次の推薦書では、大きな視点で、書ききって欲しいと思います。審査内容などが、もっとはっきりしてきた段階で、見解を書かせていただきます。
 

平泉が登録されることで世界遺産条約そのものが豊かになる?!

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 7月 3日(木)00時41分1秒
返信・引用 編集済
  いよいよ、カナダのケベックで、ユネスコ世界遺産委員会が開催されました。そして、泣いても笑っても7日の朝には、白黒の決着がつくと思われます。

どちらにせよ、平泉の価値は不変だと思っています。もちろん、今のままの景観、今のままの地元の精神性では、必ず問題が起こると思います。世界遺産というものは、とにかく、滑り込みでも良いから、登録されさえすれば、良いというものではありません。

平泉が世界遺産になる時は、私たち自身が本当に誇りを持てる形で、世界遺産にならなければ意味がないと私は思っています。

そして私が思う決定的な言い分(世界遺産入りに向けた殺し文句)は、”ユネスコ世界遺産条約そのものが、平泉を世界遺産として登録することで、その価値が豊かに、奥深いものになります。また平泉を世界遺産に登録することで、ユネスコ世界遺産条約の価値が増して、豊かになります。900年前に恒久平和を祈念して創られた都市平泉を、世界遺産に登録せずに、いったいどこを世界遺産として登録するのですか!!ということに尽きています。言ってみれば、平泉が世界遺産になることで、「ユネスコ世界遺産」そのものの持つ価値が豊かになるということです。

これは何度も言っていることですが、ユネスコは、第二次大戦後、戦争の惨禍に曝されて破壊された文化遺産の損傷を何とかしなければという非戦の思いを持って成立した国際条約です。このような考え方に、わが清衡公は、900年前に到達していました。900年前に、戦争をしない地域として、平泉の中心街は結界されていた可能性が極めて高いのです。

つまり「平泉」がユネスコに入れてもらうという消極的な気持ちは、私からすればナンセンスです。そうではなく、平泉という九〇〇年も前に、恒久平和の思想で建設された都市である平泉を世界遺産としないで、いったいどこが世界遺産になる資格があるというのか、ということができるのではないでしょうか。

でも、大変失礼な言い方になりますが、多くの人は、世界遺産がどのようにして出来たものかも、また平泉の本当の本当の見るべき本質というものを、分かっていません。ただ、雰囲気に流され、誰かが、そのように言うから、そうなのか、と思っているに過ぎません。それでは、まだ平泉は、単に景観が壊れているからというだけではなく、そこに住む人の思いが、そこまでのレベルに達するまで、もう少し時間をかけて、世界遺産になる方が良いのかな、と思ったりもしています。
 

文化的な違いもあるようです

 投稿者:げんび系  投稿日:2008年 7月 2日(水)20時21分49秒
返信・引用
  ヘタリ・・・もとい、イタリアでは世界遺産はじめ遺跡の落書きは普遍的なもので相手にして内容です。
むしろ日本の反応に各方面が困惑してるとか。
同日、新幹線が落書きを消すために運休になったニュースがありましたがイタリアの電車は落書きがあるのが普通できれいだと「利用者が少ないのかな」と心配になったりするほどです。
それはともかく、日本人には世界遺産の価値認識の前に、日本の風景の価値を見出す教育のほうが必要です。
 

結論は

 投稿者:むっくん  投稿日:2008年 7月 1日(火)20時55分58秒
返信・引用
  で、そんな平泉が世界遺産にふさわしいとおもいますか?  

平泉の世界遺産登録へ「価値観の交流」という基準について

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 6月28日(土)14時26分47秒
返信・引用
  カナダケベック市でのユネスコ世界遺産委員会の開催が迫ってきました。7月2
日(10日まで)に開催され、肝心の平泉の審査については、7日、8日頃にな
ると見られています。

日本の基本スタンスは、「浄土信仰」のコンセプトは変えず、また9つのコア
ゾーンも変更せず、「平和思想」を強調して、この考えは「ユネスコ憲章」に通
じると主張するようです。

また説明ではマルコポーロの東方見聞録を引いて、平泉の黄金伝説が、大航海時
代の幕開けの役割を果たしたと言った主張をする。さらにイコモスの登録延期の
勧告書の細かいミスをあげて、「事実誤認がある」と反論する意向のようです。

はっきり言って、見てられませんね。イコモスの指摘は、枝葉抹消を言っている
のではなく、事実誤認は、平泉側にこそあったことは明白です。つまり提出した
推薦書そのものが、ユネスコ世界遺産の精神と登録基準を「事実誤認」している
ということが問題です。

もしもこのような強引な外交で、平泉が世界遺産になったとして、少なくても私
は少しも嬉しくも、誇らしい気持ちになることはありません。むしろ、恥ずかし
い日本の文化行政の貧困を露呈することになるとすら思います。
もう少し謙虚になって、イコモスの専門家の指摘に、耳を傾けるべきではないで
しょうか。それこそが、日本文化の根底にある和の精神ではないでしょうか。

ところで、今日6月28日の、岩手地方の記事は。ほとんどが文化庁が、平泉の
審査に「絶対平和」「「平和希求」「万物共生」「自然との融合」などの文言を
使って反証することが報じられていますが、読売新聞だけが、少し違った報道を
していますので、以下に紹介したいと思います。感想は記事の後で述べます。

◆平泉、新基準をイコモスが示唆

 国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関・国際記念物遺跡会議(イ
コモス)が、「平泉の文化遺産」に対し「登録延期」とした勧告の中で、日本政
府の推薦書では主張していない登録基準に照らすことで、「顕著で普遍的な価値
を証明できる可能性がある」と示唆していたことが分かった。平泉の価値をア
ピールする新たな視点を得たことで、逆転登録への巻き返しに弾みがつきそうだ。

 世界遺産に登録されるためには、「人類の創造性を表す傑作」「歴史上の重要
な段階を物語る建築物や景観を代表する顕著な見本」など、文化遺産では六つあ
る登録基準のうち、最低一つを満たすことが条件。日本政府が作成した推薦書で
は、平泉が四つの基準を満たすと主張しているが、イコモス勧告ではいずれも
「証明が不十分」とされた。

 一方で、イコモスは勧告の中で、日本の推薦書では触れていない「建築や景観
設計などの発展に重要な影響を与えた価値観の交流を示す」という登録基準につ
いて、「証明できる可能性がある」と言及していた。

 これを受け、文化庁は、来月2日に開会する世界遺産委員会の委員国への説明
用に作成した資料で、マルコ・ポーロが著書「東方見聞録」で「黄金の国ジパン
グ」と記した例を挙げるなど、イコモスが示唆した「価値観の交流」という新た
な視点から積極的にアピールしていくことにした。

 同庁記念物課は「今後も推薦書で主張した登録基準を訴えていくことに変わり
はないが、委員会での議論の流れによっては、『価値観の交流』という基準につ
いても主張していく可能性はある」と、新たに手にしたカードの効果に期待を寄
せる。
(2008年6月28日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20080627-OYT8T00772.htm

<佐藤の記事への感想>
記事の中に、『勧告の中で、日本の推薦書では触れていない「建築や景観設計な
どの発展に重要な影響を与えた価値観の交流を示す」という登録基準について、
「証明できる可能性がある」と言及していた。』とあります。

これだけでは分からないですが、「景観設計」と「価値観の交流」という文言に
目がいきます。これは中尊寺供養願文にある平泉を開く時のグランドデザインに
関わることだと思います。

原文の現代語訳すると以下のところです。『吉と占いに出た土地に、堂塔を建
て、純金を溶かして、佛経経典を書写させた次第です。経蔵、鐘樓、大門、大垣
などを建て、高い所には築山を施し、窪地には池を掘りました。このようにして
(平泉の地は)、「龍虎は宜しきに叶う」という「四神具足の地」となりました。』

これはまさに平泉に元々あった自然の造型を極力生かした設計思想があったとい
うことではないでしょうか。このことを、考古学の研究者である前川佳代(京都
造形芸術大)は、中国の同型の都市との比較研究から「苑池都市」という概念を
発表していますが、この中国の苑池の構造については、推薦書には、まったく盛
られていないのです。また今回の反証では、毎日新聞によると『他地域の同種遺
産との比較研究が十分でないとの指摘には「中国や韓国には同時期の浄土庭園が
残っておらず、他時代の事例をみても平泉の浄土庭園とは全く異なるデザイン
だ」と説明』しているとのことです。

まったく反証を起草した方々は分かっていませんね。おそらく、この推薦書のま
まで、行こうとするから無理があるので、こんなことになってしまったのでしょ
う。前川氏の指摘をもっと積極的に盛り込むべきでした。中国の庭園と奈良、京
都の浄土庭園との比較、ひいては、西洋の庭園などとの違いを入れて、東西の
「価値観の交流」の流れを説明するだけで、平泉という都市のグランドデザイン
についての認識が深まることははっきりしています。

まあ、それで当時の平泉の都市のイメージは、随所に池や淵があって、まさに水
に浮か極楽浄土の景観があったと推測されます。ところが、現在の平泉は、周囲
にコンクリートで、高い堤防を張り巡らし、まったく水を寄せ付けない構造の町
に変化してしまっています。

読売新聞の伝えるところは、結局イコモスが、何とか平泉をどこに出しても恥ず
かしくない「真性」で「完全」なる世界遺産になる道を説いているのに、肝心の
文化庁の担当官らが、枝葉抹消の反証という罠に落ち込んでいる姿を如実に報じ
ているというこになるのではと思います。
 

京産大生もフィレンツェで落書き!!

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 6月26日(木)09時57分41秒
返信・引用 編集済
  以下のようなニュースがまた見つかった。
MSNの産経ニュースだ。文化教育の欠如の賜物だろうか。その意味でも、世界遺産教育というものを、文科省は、義務教育のカリキュラムに入れることを考えるべきではないだろうか。町の落書きを消すだけではなく、子供の頃から落書きは行けない行為、明確に「犯罪である」と教えることが必要だ。

 「京都産業大(京都市北区)の男子学生3人が3月、イタリア・フィレンツェの世界遺産に登録された地区にある大聖堂に落書きしていたことが25日、分かった。大学は3人を処分する方針。

 大聖堂はフィレンツェを代表する観光名所で、岐阜市立女子短大の学生が落書きしたことが発覚、短大側が謝罪している。

 大学によると、落書きしたのはいずれも2年生で19~20歳の男子学生。3月13日、観光旅行で「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」を訪れ、大聖堂の柱に日付と3人の名前のほか、「イタリア旅行記念」「京都産業大学」と油性ペンで落書きしたという。

 25日、大学に情報が寄せられ、3人に確認したところ、認めたという。
」(産経ニュース26日より引用)
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080626/erp0806260045000-n1.htm
 

世界遺産になるということ!!

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 6月25日(水)11時30分20秒
返信・引用
  ユネスコ世界遺産に登録されるということがどういうものであるかを如実に示すニュースが入ってきました。これはドイツのドレスデンが世界遺産から除外される可能性があることを告げるものです。

「【6月24日 AFP】カナダのケベック市(Quebec City)で7月に開かれる国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産委員会で、ドイツ東部の古都ドレスデン(Dresden)が世界遺産のタイトルをはく奪される可能性が出てきた。関係者が20日明らかにした。

 7月2-10日に開催される同委員会では、登録されている遺産の状況評価を行うと同時に、各国から申請されている47件の世界遺産登録候補地の審査を行う。
 18-19世紀の自然を残すドレスデンのエルベ渓谷(Elbe Valley)は今回、渓谷中央部への橋の建設計画決定を受けて、世界遺産から外される可能性があるという。

 全4車線のフォレスト・キャッスル橋(Forest Castle Bridge)の建設に対し、環境保護団体は「エルベ渓谷に生息する希少なキクガシラコウモリが脅かされる」として建設差し止めを訴えたが、裁判所はこれを却下。建設は07年11月に開始された。市民の多くは、交通渋滞が解消されるとして、橋の建設に賛成している。

 今回の世界遺産委員会では、1985年に世界遺産に登録されたイスタンブール(Istanbul)旧市街も、秩序のない都市開発を停止するよう勧告されると予想される。委員会は5月、イスタンブールに調査団を派遣した。

以下後略」AFP BB ニュースより転載


http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2409723/3071224

以前から、ドレスデンのエルベ渓谷に、巨大な橋を渡して、交通の便を良くするという計画がありました。一方これは、景観を破壊し、ここに棲み着く貴重なコウモリの生存を危うくするという反対の意見があり、計画中止を求める建設差し止めの訴えを起こしたが、裁判所は、これを却下しました。そこで世界遺産委員会は、6月20日、今年7月ケベックで開催される世界遺産委員会で、世界遺産の登録を抹消する可能性があることを明らかにしたのです。

平泉は、世界遺産に登録される前から、その文化景観(柳の御所跡はそれがとくに顕著)は、はっきり言って破壊されているわけですが、登録されたとしても、常にこのように監視(モニタリング)されていくのだということを、覚悟しなくてはならないのです。それでも、世界遺産にどうしても平泉をしたいという一種の覚悟がなければいけないと思います。今イコモスからクレームが付いたところで、白紙に戻して、止めることも、ひとつの大きな決断としてあると思います。
 

日本人の文化遺産認識のレベルを示す恥ずべき事件

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 6月25日(水)11時11分52秒
返信・引用 編集済
  以下の記事が目についたので、そのまま掲載し、後でコメントを書きます。佐藤

「世界遺産の大聖堂に落書き 岐阜の女子短大生、伊へ研修旅行中

2008年6月25日 09時43分

 世界遺産になっているイタリア・フィレンツェ市のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に、岐阜市立女子短期大の学生が自分の名前などを落書きしていたことが分かり、短大は24日、学生6人と引率した教員2人を厳重注意したと発表した。

 フィレンツェは町全体が世界遺産で、学生は「歴史を理解していなかった」と大聖堂側に手紙で謝罪した。

 短大によると、2月15日から22日の日程で生活デザイン学科の1、2年生36人が海外研修としてイタリアを訪問。18日に大聖堂を見学した際、居合わせた6人の1年生のうちの1人が6人の名前と短大の略称「岐女短」の文字を黒色の油性ペンで見晴らし台の大理石壁面に書き込んだ。残る5人は傍観していた。

 3月中旬、日本人旅行者の男性から短大に連絡があり発覚。学生はいたずらを認め「気が高揚していた。とんでもないことをした」と反省。短大は大聖堂に修復費用を支払うことなどを伝えた。

 大聖堂からは「謝ってくれればそれでいい」と返事があったが、今月にも別の旅行者から同じ指摘が寄せられるなど、落書きは放置されたまま。

 フィレンツェは岐阜市の姉妹都市で、10月には細江茂光市長が訪問する予定。短大は「なんとか早く修復したい」と話している。

 ◇恥のかき捨て感覚

 <長谷川博一・東海学院大教授(臨床心理学)の話> 若者はその場ののりだけで軽いいたずらをしてしまう傾向が強い。普段は内向的な日本人が、欧米の開放的な雰囲気で「恥のかき捨て」的な感覚になったのかもしれない。問題が大きくなってからでしか、ことの重大さが分からない子どもたちが多いのではないか。
(中日新聞)」


http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008062590094240.html

この記事は、女子大生が行った恥ずべき「落書き行為」というよりも、文化あるいは遺産というものに対する日本人の認識の一端を極めてよく反映している事件のように見受けられます。

それに対してフィレンツェ市や教会側は、「誤ってくれればよい」として、特に賠償だとか修復費を払えなどとは言っていない。しかも、その落書きをそのまま放置して、一般に曝している。日本であれば、直ちに、応急処置で、目立たないような細工をするはずだ。これは大きな寛容な態度だ。許されることで、罪を犯した者は返って、激しい罪悪感に見舞われる。この教会を訪れた観光客も、眉をしかめて、アジアの漢字圏の国の人間が行った愚かな行為を静かに見つめているはずです。落書きという行為が、いかに恥ずべき行いか、この記事を見ながら、日本全体が考えるべきではないでしょうか。このような女子大生は、いや人間は、日本には掃いて捨てるほどいます。文化というもの。その国の宗教儀礼が行われる教会というもの。異文化を知り、それを慈しみ敬愛する心が失われ、単なる観光行為に走るとこのような愚かな行為でも、人はしでかしてしまうのです。要は、フィレンツェと教会は、反面教師として、一定期間この日本の女子大生の落書きを、ハリツケにして曝しているように思えてならない・・・。
 

レンタル掲示板
/26